北部に向かう列車と違い、中央行きの列車には多くの人が乗っていた。なんとか買うことのできたチケットは、2人がけの席。並んで座ると細身の二人でさえ腕が触れるほどの幅しかなかった。
「僕と一緒じゃ、嫌じゃない?」
「そんなことはない。ベルが隣にいてくれるなら、かえって心強いよ」
「それなら、いいんだけど」
そんな話をしているうちに、汽笛とともに列車が動き出した。
外を眺めるアリシアを盗み見る。
彼女の指にはめられた、青い指輪。本来なら、ベルが持っているはずのものだ。
それに、腰まであった銀色の髪は、肩のあたりまで短くなっている。
たった4日の間に起きたことを思い出し、ベルは胸が苦しくなった。
「アリシア……ごめんね」
彼女はうんざりした顔でベルを見た。
「謝ったら、72時間口をきかないと言ったはずだが?」
「うぅ……」
日数が1日から3日に増えていることにも気づかないほど、ベルが落ち込んでいる。
その様子がおかしくて、アリシアは笑みを浮かべた。
「……アリシア?」
「ありがとう、ベル」
身に覚えのない感謝の言葉に、ベルはいよいよ戸惑った。
構わず、アリシアが続ける。
「アリスのことも、家のことも。今回の件がなかったら私は今でも1人で考え込むだけだった。それを変えてくれたのは、ベルだ」
ベルは静かに首を横に降った。
「僕は何もしてないよ。変わったとしたら、それはアリシアが自分で変えたんだよ」
「いいや、ベルのおかげだ」
そうかなあ、と返そうとして、ベルはやめた。
「……ありがたく、受け取っておくね」
アリシアの満足そうな笑みを見て、ベルはその選択が正解だったことを実感した。
「中央に戻ったら、どうするんだ?」
「まずは、クロさんに会いに行こうと思う。アリシアの指輪のことも相談したいし、それに……」
「それに?」
「いくつか気になることもできたから、カロンさんにも話を聞きに行こうかなって」
「カロンというと、ベルの誕生日のときに来た男か」
ベルは頷いた。
「気になるといえば、私もあるんだ」
「もしかして、ボーウェンって人のこと?」
「ああ。おじい様の話では、事件があった日の午前中、彼はおじい様たちと会う予定があった」
確かにあの日の朝、ドゥーブが要人と会うために早めに出発した、とイーニーが言っていた。要人とはボーウェンのことだったのだ。
「会合自体は30分ほどで終わったらしいが、その後は執拗に私やアリスのことを尋ねてから帰ったらしい」
「……なんだか、怪しいね」
「4年前の事件で両家の調停役を引き受けていたから、その後が気になっていたのかとも思ったが……アリスの話も踏まえると、嫌な動きであるのは確かだ」
「それじゃあ、向こうに戻ったら一緒にクロさんのところに行こう」
「分かった」
しばらくして、列車は山脈の間を進み始めた。会話が途切れ、アリシアの意識は過去に向けられていた。
☆
――3年前、入学式の日。
中央都市にはいくつかの学校が存在するが、その中でもアリシアがこれから足を踏み入れようとしている場所は、およそ500年前の大陸戦争以前から存在する、大陸で最も古くからある学校。生徒の多くは中央都市出身者だが、他の都市からの生徒も少なからずいるようだった。
それが理由だったのか定かではないが、式典が終わるまでアリシアに声をかけるものは誰もいなかった。
これでいいんだ。
アリシアは自分に言い聞かせた。
アリスを見捨ててここにいる私に、新しい友達は必要ない。いちゃいけないんだ。
「大丈夫? 具合悪そうだけど」
突然声をかけられて、アリシアは体を震わせた。
声の主である癖毛の少年は、心配そうにアリシアの顔を覗き込んでいる。
空色の瞳が濡れたように輝いていて、思わず見とれそうになった。
「……考え事をしていただけだ」
あえて突き放す言い方でアリシアが答えた。
これできっと、少年は距離を置いてくれるだろう。そう思ったのだが、予想は外れた。
「考え事で、そんなに苦しそうにする人は初めて見た」
「私は考えるので忙しい。放っておいてくれ」
「それはできないよ、だって」
もう式典は終わって、みんな教室に戻ってるから。
少年の言うとおり、広い式典会場に残っているのはアリシアと少年だけだった。
「保健室と教室、どっちに行く?」
「……教室」
アリシアは生まれて初めて、呆れ顔の先生と“悪い子”を見るクラスメートたちの視線が迎える中で教室の隅の席に着いた。
席は決まっていないので、先に来た生徒から前に詰めて座っている。そのため、2人が到着した時には、後ろの席しか空いていなかった。当然、アリシアと一緒に入ってきた少年は彼女の隣に着席した。
先生から学校生活に関する話を聞く間、アリシアは少年を盗み見た。
淡い色の瞳は、まっすぐ先生に向けられている。時折メモを取る様子からしても、とても初日から反抗的な態度をとるような人物には見えない。
……もしかして、あの場所に残ってくれていたのは自分のせい?
アリシアは申し訳なく思いながら、先生の話が終わるのを待った。
「――授業は明日から始まる。各自忘れ物や遅刻には気を付けるように」
しばらくして先生の話が終わり、放課後を迎えた。
荷物をまとめて立ち上がった少年が、アリシアに声をかけた。
「体調はどう? よくなった?」
「よくなるも何も、私はもとから健康だ」
「そっか。それならよかった」
少年は朗らかに笑った。どことなく、アリスが元気だった頃に似ている気がして、アリシアは苦しさを覚えた。
その様子に、少年は不安そうな顔をした。
「……やっぱり、調子が悪いんじゃない?」
「大丈夫だって言ってる」
この少年はどうしてここまで構ってくるんだろう。
申し訳なさと苦しさが、無意識のうちにアリシアの態度をかたくなにさせた。
「さっきは声をかけてくれてありがとう。だけど、これ以上私には関わらないほうがいい」
「どうして?」
「……私は、ひとりでいるのが好きなんだ」
嘘をついた。だが、アリシアはこれでいいと思った。
この少年にアリスを重ねてしまう。アリスは今も苦しんでいるのに、私はどうしてここにいるのか。
「また、苦しそうな顔をしてるよ」
少年が言った。先ほどよりも、強い口調だ。
「どんな理由があるのかは分からないけど、放っておけないよ」
少年は手を差し出した。
「僕はベル。名前を教えてくれる?」
少し迷って、手を握り返した。
「……アリシア」
「これからよろしくね、アリシア!」
気が付いた時には、アリシアはベルと一緒に校舎を後にしていた。
「家はどのあたりなの?」
ベルの質問に、アリシアは困り笑いを浮かべた。
「引っ越してきたばかりで、住所はまだ覚えてないんだ。確か、近くにクロワッサンがおいしいパン屋が――」
「もしかして、【ベアーズ・ベーカリー】? 熊みたいに大きいおじさんのお店の?」
「確か、そんな名前だったと思う」
ベルの表情が明るくなった。
「僕の家も、あのお店の近くなんだ。僕のお気に入りは塩パンだけど、クロワッサンもおいしいよね」
「塩パンはまだ食べたことがないな。今度試してみる」
目的地が定まった2人の足に迷いはなく、その分会話が弾んだ。
「アリシアは北部から来たんだっけ」
「ああ」
「列車に乗ってくるんだよね?」
「そうだけど、それが何か」
「僕は列車に乗ったことがなくて。どんな感じなんだろうって」
「どんなと言われても……燃料が燃えるにおいがきつくて、揺れに慣れていなければすぐに気持ち悪くなる」
アリシアはあえて悪いことから言った。予想通り、ベルは期待を裏切られたと言いたげな表情をする。
「だけど」
アリシアは言った。
「揺れに慣れてしまえば、あんなに便利で楽しいものはない。機会があったら、ぜひ乗ってほしい」
列車がどうやって大陸に整備されたか。北部の図書館の良さは――
アリシアは北部都市にまつわる話をベルに話した。どの話にも目をきらきらと輝かせて耳を傾けていたベルは、お返しと言わんばかりに中央都市のおすすめを教えてくれた。
いつの間にか【ベアーズ・ベーカリー】も通り過ぎて、アリシアの家が見えてきた。
「ここでいいよ。いろいろとありがとう」
「僕がやりたくてやったことだから、お礼はいらないよ」
「……久しぶりに、楽しいと思えた。ベルが声をかけてくれたおかげだ」
アリシアは心からそう思っていた。
まるで、事件前のアリスと一緒にいるような感覚だった。
「それならよかった。さっきよりも、顔色がよくなったみたいだし」
ベルの笑顔につられて、アリシアの表情が緩む。
「じゃあ、また明日」
「ああ、また明日」
☆
アリシアの肩に温かいものが触れて、意識が現実に引き戻された。
「……ベル?」
疲れがたまっていたのか、それとも、列車の揺れに慣れたのか。
静かな寝息を立てながら、ベルは眠っていた。
起こすのもかわいそうだと、アリシアはそのままにしておくことにした。
『好きなんでしょ、ベル君のこと』
ふと、ローザの言葉を思い出した。
アリスから『応援してる』と言われた日の夜。そのことを姉に話したら返ってきた言葉だ。
あの時は思わず否定したが、意識していないといえば嘘になる。
最初こそ、ベルにアリスを重ねていた。それが間もなく、【ベル】という1人の少年として彼を見ることができるようになった。
そのベルを通じて、ハキーカやルナ、モントと知り合うこともできた。
彼らとの関りを持つうちに、彼らに対する気持ちとベルに対する気持ちが違っていることにアリシアは気づいた。
何をしていても、ベルが近くにいるだけで目で追ってしまう。何をしているか、どんな表情をしているのか、気になってしまう。
それは、アリシアにとって初めての感情だった。だからこそ、それを“好き”と名付けるには勇気が足りなかった。
「人の気も知らないで」
眠り続けるベルに、その言葉は聞こえない。
揺れ続ける列車の中、アリシアはその肩にある温もりだけは失くしたくないと強く願った。
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