ベルにとって、休み明けの学校は拍子抜けするほど普段通りだった。
違いがあるとすれば、間もなく学期末の休みを迎える生徒たちの高揚感が、校舎中に満ちていること。
中庭に向かうベルの耳には、休みの予定を楽しげに語る声から、休み中に課されるであろう大量の課題への嘆きまで、様々な音が入ってくる。
「お、これから行くのか?」
ふと、背後からハキーカの声がした。手には購買で買ったらしい昼食を持っている。
「うん。先生に聞きたいことがあって、遅くなっちゃった」
「それでか。……まあいいや、一緒に行こうぜ」
答えを聞く前に、ハキーカがベルの前を歩き出す。
1歳しか年齢が違わないはずなのに、ハキーカはとても大人びて見える。
話し方のせいか、少しだけ高い背のせいかは分からないけれど。
クロやウィルとは違うタイプのお兄さんのような。
「どうした、ベル?」
「……ううん。何でもない」
説明するには少し気恥ずかしくて、ベルはごまかすように笑った。
2人が到着した中庭には、すでにアリシアとモント、そしてルナの3人がそろっていた。
軽く挨拶をして、ベルとハキーカは定位置に腰を下ろした。
「こうして会うの、久しぶりだね」
持ってきた昼食を取り出しながら、ベルが言った。
「4日も会ってなかったからな」
そういえば、とハキーカが切り出した。
「ベルは北部に行っていたんだってな」
ベルは驚いてハキーカを見た。
「誰に聞いたの?」
「ウィルさんだよ。『ベルがいなくなった、どうしよう』って、すごく心配してたぞ」
「あー……それはね……」
ベルは昨晩の兄の様子を思い出し、苦笑した。
☆
前日の夕方、ベルとアリシアは定刻通りの列車で中央都市の駅に到着した。
北部都市での出来事が夢か何かのように、道中では何ひとつ問題は起きなかった。それが逆に、2人にとっては少し不気味に感じたのだが。
乗客の波が引いたころを狙ってベルたちは客車の外に出た。誰かに狙われる可能性を考えて、というよりは、人込みを避けたかったという2人の思いが一致したためだった。
改札の外側では、ベルがよく知る2人の人物が待ち構えていた。ベルたちは速足で彼らのもとへ向かった。
1人はカロン。ベルとクロの協力者。
そしてもう1人は、心配そうな顔のウィルだった。
「勝手にいなくなるなよ!」
近づいてきたベルに強い口調で叫んだかと思えば、次の瞬間にはしっかりと抱きしめていた。
「手紙だけ残していなくなって、どれだけ心配したか……。そのうえ、北部で事件があったなんてニュースもあったし、巻き込まれたんじゃないかと」
「ウィル、気持ちは分かるがベルを離すべきだ。窒息しかかっている」
カロンの言葉に、ウィルが慌ててベルの体を離す。
荒い息を整えながら、ベルは答えた。
「勝手なことをしたのは――ごめんなさい。――だけど、行かなきゃいけなかったから」
「クロさんの頼みで、か?」
ベルは目を見開いた。
隣にいたアリシアも、驚きをもってウィルを見た。
「いなくなったことに気づいてすぐ、クロさんのところに行ったんだ。最初ははぐらかされたけど、問い詰めたら教えてくれた」
「どう、して」
隠そうとしたのに。
ベルがそれを口にする前に、ウィルは言った。
「隠すのがそもそも意味のないことだったんだ。だって、カロンはあの時『クロの件で用がある』ってお前を連れて行っただろ。そのあとお前がいなくなるんだから、当然クロさんが関係しているって疑うじゃないか」
「……!」
「隠せていたつもりだったのが驚きだよ」
呆れた顔でウィルが呟いた。
と、それまで黙っていたアリシアが口を開いた。
「ということは、ウィル……さんは」
「ウィルでいいよ」
「……ウィルは、彼らの協力者になったということか?」
「まあ、そういうことになるかな」
ウィルの言葉を引き継ぐように、カロンが言った。
「それはお前も同じだろう。管理者の孫、アリシア」
アリシアは目を細めてカロンを見た。
「おじい様のこと、知ってたのか」
「いや、分かったのはお前たちが出発してからだったよ。管理者に孫がいることは知っていたが、ベルの友人であるお前がそうだと結びつかなくてな。情報屋としてふがいなく思う。すまなかった」
カロンの謝罪に、アリシアは首を横に振った。
「今回のことは、知らないおかげでできたこともある。謝られる理由はない」
「……そう言ってくれて、少し気が楽になったよ」
カロンは頃合いと踏んで、話を切り出した。
「戻って早々悪いが、これからクロの居場所へ案内する。来てくれるか」
断る理由はなかったので、一行は目的地に向けて月明かりの下を歩き始めた。
目的地は商業地区の裏通りにあった。
古びた建物に入り、扉が並ぶ廊下を進んでいくと、そのうちの一室から明かりが漏れているのが見えた。カロンは迷うことなくその扉の前に立ち、何かを呟いた。
扉がひとりでに開き、中にいたクロが来客に気づいた。
「おかえり。それと、お疲れ様」
全員が部屋の中に入ると、扉は開いた時と同じようにひとりでに閉まった。
「ここって……」
ベルは部屋を見回した。
壁が見えなくなるほど、周囲は大量のもので埋めつくされていた。それらに囲まれるように、部屋の真ん中には巨大な机がひとつ。そして、いくつかの椅子が用意されていた。
ベルたちが席に着くのを確認してから、カロンが言った。
「俺の店の倉庫兼事務所だ」
「カロンさん、お店持ってるんですか?」
「情報屋はたいてい表の顔も持っているものだ。商業地区で雑貨屋をしてる」
ベルはカロンが店主をしている様子を思い浮かべようとしたが、うまくいかなかった。
追い打ちをかけるように、クロが言った。
「店って言っても、いつも閑古鳥が鳴いてるがな」
「……有名になりすぎて本業に力を入れられなくなったら、困るのはお前のくせに」
「なんか言ったか?」
「何も」
「……あの、カロンさん。近いうちにお店に行ってもいいですか?」
この数分で、カロンが少しやつれた気がする。
ベルは思わず提案したが、彼の表情は複雑だった。
「……ベル、気遣いが逆効果になることもある。覚えておいてくれ」
「カロン、そろそろ本題に入ろう」
流れを作った張本人のクロにそう言われ、カロンは一瞬だけむすっとした。
だが、すぐに平静さを取り戻して答えた。
「ああ、……そうだな」
クロは部屋にいる面々に向かって言った。
「次の装置について話をしよう」
☆
「ベル、どうした?」
ハキーカの声に、ベルの意識が引き戻された。
中庭を背景に、彼がベルの顔を覗き込んでいた。
「ご、ごめん。ちょっと考え事してて」
兄が心配する顔を思い浮かべていたつもりが、いつの間にか次の装置のことを考えていた。
「えっと、なんの話をしてたんだっけ」
「北部に行ってたって話。何しに行ったんだ?」
「それは――」
どう答えるべきか。ベルが考えている間に、アリシアが代わりに答えた。
「私のおじい様に、話を聞きに来たんだ」
さすがに無理があるんじゃ、とベルは思った。
それはハキーカも同じだったようで、聞いた瞬間に顔をしかめた。
「わざわざ北部まで行ってか?」
「おじい様は大陸史に関する話をよく知ってる。そのことを話したら、ベルが興味を持ったんだ。誰にも知らせなかったのは、予定の調整がぎりぎりになったから。……そうだろう、ベル」
「そ、そうなんだ。兄さんには悪いかなって思ったけど、どうしても行ってみたくって……あはは……」
“おじい様”――ドゥーブから話を聞いたのは嘘じゃない。話しながらベルは自分に言い聞かせた。
2人の言葉を聞いても、ハキーカのしかめっ面はほとんど変わらなかった。
「まあ、2人がそう言うならそういうことにするけどさ」
ベルは話題を変えることにした。
「ハキーカはどうだった?」
「特に何も。課題もあったし、家にいるか近所で体動かすか、って感じ」
「そっか。モントたちは?」
話題を振られた双子が、ベルたちに意識を向ける。
答えたのは、両手にパンを持ったモントだった。
「ふぁふぁぎゃきょんでょの」
「えっと……モント?」
食べ物を口に詰めながら再び話そうとするモントを、ルナがたしなめた。
「兄さん、行儀が悪いよ。ちゃんと食べてから話さなきゃ」
ルナの言葉に、モントは口の中のものを飲み込み――そして、新しい一口を頬張った。
その様子を見て、彼が言おうとした言葉をルナが代弁した。
「パパが、今度の秋休みに西部へ行こうって」
「西部に?」
「少し前に、西部と他の都市との移動制限が解除されたでしょう? だから、西部にいるママに会いに行こうって計画をしてるの」
「確かに、長い休みに入るしいい機会だね」
言いながら、以前ハキーカに教えてもらったことを、ベルは思い出した。
手芸用品を扱う店を開いた父、レーゲンと、元医師の母、ニコル。その2人の陰に隠れるようにして、モントとルナは中央都市へやってきた。西部都市で疫病が確認されるよりも前、今からおよそ6年前のことだ。
移住先の店舗兼住宅がハキーカが住む家の近くだったことがきっかけで、彼らは家族ぐるみで仲良くなっていった。
特に、疫病の発生後、モントたちの母親が医師として西部都市に“単身赴任”してからは、ハキーカは特に彼らを気にかけるようにしていた。
ベルが彼ら双子と知り合えたのも、彼が橋渡しをしてくれたからだった。
「向こうのことは、どれくらい覚えてるの?」
「……実は、あんまり覚えてないの。向こうに行ったら思い出せることもあるかもだけど」
「ボクたちがこっちに来たのは8歳のときだから、なんなら中央のことのほうがすぐ思い出せる」
そう言ったのはモントだった。両手に持っていたはずのパンが消えている。
「あ、でも駅前の定食屋はおいしかったな。あそこのトマトパスタ、また食べたいな」
モントらしい思い出に、ベルたちは笑顔になった。
「モントがそう言うんだから、本当にうまい店なんだろうな」
ハキーカの言葉にモントは満面の笑みで頷き、それからベルに向かって言った。
「ベルは何か予定しているのか?」
「僕も……実は、近いうちに西部に行くんだ」
アリシア以外の子どもたちが、驚きの表情を見せた。
「そうなのか?」
「人に会う用事があって。アリシアも一緒にね」
同意を求めるようにベルが視線を向けると、アリシアが頷いた。
思わずハキーカが尋ねた。
「それも大陸史関係なのか?」
「まあ、そんなところだ」
ベルたちの話で真実なのは、人に会いに行くという部分だけた。
そしてそれすら、本来の目的――装置の回収――の一部に過ぎない。
昨夜のクロたちとの話し合いで決めたことで、当然、ウィルも了承している。
「じゃあ、向こうで4人が顔を合わせることがあるのかもな」
笑いながら話すハキーカに、アリシアが尋ねた。
「ハキーカは何か予定しているのか?」
「……オレは、南部に行こうと思ってる」
発言の瞬間、中庭の空気が緊張するのをベルは感じた。
「南部って、最近も暴動があったって聞いたけど……」
「知ってる。けど、今しかタイミングがないんだ」
ベルははっとして呟いた。
「……もしかして、ポラリスさんと兄さんについていくの?」
「ああ。知ってるってことは、ベルはウィルさんに聞いたんだな」
「何の話だよ?」
モントが不思議そうに尋ねた。
「今度、ポラリスさんが会合と取材のために南部に行くことになってるんだ。補佐としてウィルさんも行くんだが、その時一緒にオレも行けることになったんだ。こんな時じゃないと向こうに行けないからさ」
「行きたい場所があるのか?」
「まあ、な」
その言葉にかぶせるように、午後の始業の予鈴が中庭に響いた。
結局、ハキーカがそれ以上のことを話すことはなかった。
☆
学校からの帰り、ベルは商業地区の大通りを歩いていた。
住所と簡単な地図を書いた紙を片手に進むと、やがてある建物の前に着いた。
【忘却の雑貨店】と書かれた、古い看板の店。
「ここで、間違いない」
思い切って、ベルはその扉を開けた。
「いらっしゃ――って、お前か」
カロンは掃除をしていた手を止めて、来客を確認した。
「こんにちは、カロンさん」
「何しに来た?」
「聞きたいことがあって来ました。……それと、雑貨のお店がどんな感じなのか気になって」
「冷やかしか」
「そんなつもりじゃ……!」
困り顔のベルに、カロンはふっと笑った。
「冗談だ。気に入るものがあるかはともかく、ゆっくりしていってくれ」
「あ、ありがとうございます」
悪い人ではないんだろうけど、つかみどころのない人だなぁ。
そう思いつつ、ベルは答えた。
雑貨店といっても、店内に並んだ品物の多くは古い魔法具だった。
ベルの小遣いで買えそうなものもあれば、使い方の想像すらつかない高価なものもある。
ふと、ベルは胸元からペンダントを取り出して品物のそばに置いてみた。
店の品物と並んでいてもおかしくないほど、ペンダントはその場になじんでいた。
「カロンさん」
「俺はそのペンダントのことはほとんど知らないぞ」
「まだ何も言ってないですよ。……聞こうとは思っていましたけど」
カロンは少し考えてから、ベルに尋ねた。
「逆に尋ねるが、ベルはどこまでペンダントのことを知っているんだ?」
「えっと……大陸戦争のころに作られて、それをなぜか生まれたばかりの僕が持っていた、とだけ聞いています」
「じゃあ、それが誰によって作られたかは聞いていないんだな」
「はい」
「そのペンダントは、ルークによる作品だ」
「ルーク……」
数日前に知った名前を、ベルは静かに繰り返す。
カロンが続けた。
「北部都市の指導者だったマルガレータの姉、フェリシアと交友関係があったとされる男で、当時の魔法具職人の中でも抜きんでた才能があったと言われている」
ベルは確信した。
「やっぱり、そのルークなんですね」
「どういうことだ」
「北部に行った時、アリシアから彼女の家系図を見せてもらいました。大陸戦争の頃のそれに、ルークという名前の人が載っているのを見ています。……そのルークで、間違いないですか」
「ああ、おそらくな」
ベルは、さらに踏み込んだ。
カロンをじっと見つめて尋ねる。
「僕が聞きたかったのは、そのルークとフェリシアの子どもである、“ベル”についてです」
カロンは先ほどよりも長い時間、黙っていた。
「……2人の子どもである“ベル”は生まれて間もなく死んだ。公的な書類上はそういうことになっている」
「その言い方をするということは、実際は生きていたという事ですか・・・・・・?」
カロンはその問いに対して、明確な答えを示さなかった。
「仮にその時は生きていたとしても、数百年前の人物だ。とっくに死んでいるだろう。……悪いな、この件については俺も調べている途中だ。分かったら教える」
「そう、ですか……」
カロンだったら何かを知っているかも、というベルの淡い期待は消えてしまった。
感情を読み取れない顔で、カロンが尋ねる。
「ほかに聞きたいことはあるか?」
「今のところは、特に」
本当はほかにも聞きたいことがあったが、それは次の機会にすることにした。
ふと窓の外を見ると、太陽がだいぶ色づいていることに気づいた。
「お話、ありがとうございました」
「大した話ができなくて悪いな」
「今の時点でどれくらいのことが分かっているか、それだけでも聞けて良かったです。それに、カロンさんのお店にも来られたし。……僕、ここのお店好きです」
「……そうかい」
夕日に照らされてはいたが、カロンが顔を赤くしていたのは十分わかった。
ベルはお礼代わりに小さな置物を1つ買ってから、カロンの店を後にした。
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