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12話 北側と南側

ElleNanaizumi

『間もなく、目的地に到着いたします。お降りの際はお忘れ物のないよう――』

 

 列車内に放送が流れるのを聞いて、ベルとアリシアは視線をお互いの顔に移動した。

 

「乗っていた時間、北部の時より早かったね」

「それは……距離が違うからな」

 

 アリシアの言葉に、ベルははっとして顔を赤らめた。

 ベルたちが住んでいる大陸は、南北に長いひし形のような形をしている。そのため、中央から各都市に向かうにあたっては東西の移動より南北の移動の方が時間がかかるのだ。加えて、北部都市に行くには山脈を超える必要があるため、さらに乗車時間が長くなる。

 考えてみれば当たり前のことに気づかなかった自分が恥ずかしかった。

 

「長距離移動をしなければ、意識する必要もないからな。仕方ないよ」

「……」

 

『気遣いが逆効果になることもある』――先日カロンに言われたことを、ベルは身をもって実感した。

 そうしている間に列車がホームに入り、完全に静止した。

 いつも通りに乗客の流れが落ち着いてから、ベルたちは列車の外に出た。

 駅のホームは屋根があることを除けば、ほとんど屋外にいるのと変わらない。線路の真上には屋根がなく、秋晴れという言葉がふさわしい、真っ青な空が頭上に広がってる。

 時折ベルたちに吹き付ける冷たい風には、かすかに潮の香りが混ざっていた。

 それもそのはず、西部都市の駅があるのは大陸の最西端、かつその先に広がる海が目と鼻の先にある場所なのだ。

 早く風をよけられる場所に行こう――アリシアはそう言いかけて、口を閉ざした。

 ベルは、淡い金色の癖毛が鳥の巣のように乱れることも気にせず、空色の瞳を深い青色をした海へと向けていた。

 代わりに、別の質問をすることにした。

 

「気になるものがあったのか?」

 

 アリシアが尋ねると、ベルはごめんと謝りつつ彼女のほうを向いて答えた。

 

「海を見たのが初めてで。見とれちゃってた」

「初めて海を見た感想は?」

「うーん……一言では難しいかも。綺麗だけど、ちょっと怖くもある、みたいな感じかな。アリシアは見たことある?」

「ああ。ほぼ毎年、夏になると北部の海岸に行っていた。姉さんやアリスたちと一緒に、そこで泳いだりしたよ」

 

 ベルは驚いて、思わず尋ねた。

 

「アリシアは泳げるの?」

 

 授業も含め普段のアリシアを見ている限りでは、あまり運動は得意ではない様子だった。

 そう思われているのを分かっているのか、アリシアは少し得意げに答えた。

 

「人並みには、ってくらいだけど」

「それでもすごいよ、僕は泳ぎ方も分からない」

「ベルならすぐに泳げるようになる。私ですらできるんだから」

「そうかなぁ」

「ああ、きっとできる」

 

 2人は微笑みあって、それから海とは反対方向にある階段に向かった。

 案内に従って2人が階段を上っていくと、やがて左右に長く伸びる通路へと出た。

 事前にもらっていたカロンの情報によると、西部都市は線路を挟んで北と南に分かれているという。

 住民が2つの地域を行き来できるようにするため、線路の両側をつなぐこのような通路が、西部都市にはいくつか設置されているとのことだった。

 ベルたちが上ってきた階段の正面に、案内看板が取り付けられていた。

 【北部:霊園・療養区域】【南部:商業・行政・居住区域】

 歴史を感じさせる駅の建物には不釣り合いな、真新しい看板だ。疫病が発生してから取り付けられたものだろうか。

 ベルたちが看板に目を奪われていると、不意に声をかけられた。 

 

「他の都市から来たんだね」

 

 驚いて声のした方を見ると、そこには1人の女性が立っていた。

 笑顔を見せてはいるが、疲れ切っているような雰囲気がある。

 そのせいで、せっかくの色鮮やかな模様が入った服――西部都市の伝統的な服装だ――も色あせているように見えた。 

 ベルは突然現れた女性に驚きつつも答えた。

 

「中央から、ついさっき来たばかりなんです」

「あらー、そうなの。物好きだね」

 

 女性は力なく笑った。それに合わせて、腕の中にある花がわずかに揺れている。

 

「そのお花は……?」

「ああ、これね。供え物だよ」

 

 家族のね。

 答えを聞いて、ベルは質問したことを後悔した。

 

「すみません……失礼なことを聞いてしまって」

「気にしていないから、謝らないで。……まあ、ここを通る人間がいたら、たいていは墓参りが目的だってことは覚えておくといいかもね」

 

 女性はベルたちが負い目を感じないようにと、できるだけ優しく微笑んだ。

 

「子供たちが生きていたら、あんたたちくらいの年だったと思ったらつい、ね。急に話しかけてごめんよ」

「……お話、聞かせてくれてありがとうございました」

 

 ベルたちに見送られて、女性は静かにその場を後にした。

 しばらく沈黙が続いたあと、先に口を開いたのはアリシアだった。

 

「ニコル氏がいるのは、北側にある疫病専門の病院だと言っていたな」

 

 ベルは頷いて、通路に設置された窓から外を眺めた。

 窓は数メートルおきに取り付けられていて、北側に面した窓からは、黄土色の平野が広がっているのが見えた。

 並木に挟まれた白い道が1本、駅からまっすぐ灰色の建物へと伸びている。

 他に目立った建物はなく、目的地の病院であることは間違いなった。

 

「この距離だと歩いて行けそうだけど……どうしよう」

「私はどちらでも」

「じゃあ、歩いて行こうか」

 

 2人は、先ほどの女性と同じ方向――北側の出口へと歩き始めた。

 

 

 ☆

 

 

 出発前夜、カロンの倉庫兼事務所。

 ベル、アリシア、カロン、そしてクロ。アルケーの秘密を共有する者がテーブルを囲んでいた。

 この日以降、集まって話をすることが困難になるとのことでクロが招集をかけたのだった。

 

「ウィルは、もう出発したのか?」

 

 クロに尋ねられて、ベルは静かに頷いた。

 

「今日の朝、ポラリスさんと一緒に」

「そうか。……ウィルには事前に情報を渡してあるから、うまくやってくれると信じよう」

「そう、ですね」

 

 ウィルは今日から、新聞社社長のポラリスとともに南部都市へ取材に出かけることになっていた。

 兄さんなら、きっと大丈夫。

 心の中でベルはそう唱えた。どちらかと言えば、気になるのは別のことだった。 

 ――迎えの馬車の中にいた、思いつめた表情のハキーカ。声をかけたけど、ほとんど反応を返してくれなかった。

 あんな表情をする彼を見たのは、“何年ぶり”だろう。

 黙り込んだベルを見かねて、クロが尋ねた。

 

「ベル、どうした?」

「……なんでも、ないです」

 

 ハキーカのことは後で考えよう。

 ベルは頭を振って、目の前の問題に集中することにした。

 

「この前はどこまで話したっけな」

「ほとんど何も進まなかったと思う」

 

 クロの呟きに、アリシアは自分で取っていたメモを見ながら答えた。

 

「……ああ、そうだったな」

 

 クロは苦笑いを浮かべながら言った。

 彼らの会話の間に、ベルは前回の集まり――ベルとアリシアが中央都市に帰ってきた日――の様子を思い出した。

 最初、クロは次に回収する装置について話そうとしていた。

 ところが、その前に問題が明らかになった。

 ウィルがしばらくの間、出張で南部都市に向かうことになったのだ。

 計画を練り直すため、この日はいったんお開きとなり――そして、今日に至る。

 クロが言った。

 

「ウィルには新しい計画と、それに関する資料を渡してある」

「兄さんは何をすることになっているんですか?」

「簡単に言えば装置に関する情報収集だな。今の南部は信頼できる情報が少ないから、それを頼んである」

「情報収集はカロンの役割じゃないのか?」

 

 クロの言葉に、アリシアが尋ねた。

 もっともな質問だ。そう言ってから、カロンが答えた。

 

「争いが起きる時、そこでは普段とは比べ物にならないほどの情報が生まれている。嘘か本当かに関わらず、だ。ウィルには、できるだけ情報の源に近いものを集めてほしいと伝えてある。現地に行くのは危険なことではあるし、手に入れた情報の中から正しい、求めていたもの見つけるのは難しい。だが、記者の経験があるウィルになら任せられると判断した」 

「そうなのか。……カロンがそう言うのであれば、私はその判断を信じる」

 

 さて、とクロが紙の束をベルたちの前に差し出した。

 

「2人には、西部都市の装置回収を頼みたい。情報収集から始まるのは、ウィルと変わりないけどな」

 

 紙の束――カロンがまとめてくれた資料だった――を確認していくベルたちに、クロが続けた。

 

「ベルに以前、『北部以外の装置の行方は分からない』と言ったと思うが、その理由の大部分は『装置の管理者が不明、もしくは連絡が取れていない』ことにある。ただし、西部に関しては割と最近まで管理者がいたことが分かっている」

 

 ベルは資料から顔を上げた。

 

「その人は今、どうしているんですか?」

「おそらく、疫病で命を落としているだろう。そのあたりのことについては……あった、ここの部分に書いてある」

 

 クロはベルたちが持っていた資料の、ある部分を指差した。

 “管理人について”と小見出しがつけられた項目には、西部都市における最後の管理人の情報が載っていた。

 

「およそ5年前、西部都市で未知の疫病が流行り始めた頃に、彼から最後の手紙が届いた。その中で彼は、自分は間もなく死ぬだろうと記していた。そして、自分が死んだときは“ニコル”という医師に一切を任せるとしていた」

「クロさん、もしかしてその“ニコル”さんって」 

 

 名前と、“西部都市の医師”という情報に、ベルは心当たりがあった。 

 クロはベルの質問に答える代わりに、資料を見るよう促した。

 管理人の情報のすぐ下に、“ニコル”に関する情報が載っていた。

 

 家族構成:夫 子供

 特記事項:子供は双子で、ベルとアリシアの友人

 

「やっぱり、モントとルナのお母さんなんだ」

 

 そう呟いたベルだったが、彼が知っているのはそこまでだった。

 

「私は会ったことがないが、ベルは彼女を知っているのか?」

 

 ベルは首を横に振った。

 

「数えるくらいしか会ったことはないんだ。僕が覚えているのは名前だけで、顔は忘れちゃった。6年も前の話だし、ニコルさんはもう僕のことは覚えていないと思う」

 

 資料の中にニコルの似顔絵が挟まれていたが、ベルの記憶の中にその顔はなかった。

 家族ぐるみで付き合いがあったハキーカなら、覚えていたかも。

 ここに彼がいないことを、ベルは残念に思った。

 

「最後の管理人からの手紙が届かなくなった後、俺はニコルにあてた手紙を何度か送ってみた。だが、彼女からの手紙は1度も来ていない。警戒されているのか、それとも別の理由があるのかは……分かっていない」

 

 アリシアが尋ねた。

 

「ニコル氏が亡くなっている可能性はないのか?」

「それはない。ニコルは西部都市の疫病対策において前線に立っていた人物だ。万一彼女の身に何かがあれば、新聞をはじめ大陸中で大きく騒がれているだろう」

「……そういえば、ルナたちが近いうちに『ママに会いに行く』とも言っていた。そうなると、なおのこと亡くなっている可能性は低いな」

「話をまとめよう。ベルとアリシアが西部でやることは大きく2つ。ニコルに装置の話を聞くこと。そして、彼女の話をもとに装置を回収し、ここに戻ってくることだ。頼んだぞ」

 

 ベルとアリシアは視線を交わしてから、しっかりと頷いた。

 

 

 ☆ 

 

 

 2人は北側の出口から外に出た。

 西部都市の駅から病院の建物まで伸びる道は、馬車が通れるようにするためか、かなり道幅が広くとられていた。

 道の両側にはオレンジや黄色に色づいた木々が並んでいて、荒野のような北側の風景にわずかな彩りを添えている。

 そして、窓越しでは気づかなかったものがあった。

 荒れた大地だと思っていた、並木道の外側に広がる大地。そこには、白い板のようなものが数えきれないほど大量に刺さっていた。

 

「あ、あの人って……」

 

 ベルは、道の先を歩いている、先ほど駅ですれ違った女性の姿を見つけた。

 2人と女性の間にはかなりの距離があるため、彼女はベルたちの存在に気づいていない。

 女性は道を外れて白い板のある大地へと歩いていく。

 そして、ある板の前で立ち止まると、持っていた花束をそこに置いた。

 アリシアが言った。

 

「あの人だけじゃない。ほかの……お墓にも、供え物がされている」

 

 彼女の言うとおり、置かれたばかりのものもあれば、すっかり枯れてしまったものもあるが、至る所に供え物の花が置かれていた。

 

「これだけの人が、疫病で亡くなったんだな」

 

 ベルは頷いた。頷くことしかできなかった。

 女性の様子は気になりつつも、2人は先を急いだ。

 目的地である病院までは、歩いておよそ15分。ちょうどいい気温も相まって、2人はそれほど疲れを感じないうちに灰色の大きな建物へと到着した。

 建物の中に入ってすぐ、ベルたちの目に“総合窓口”と書かれた看板が映った。

 感じのよさそうな雰囲気を持った受付の女性は、2人に体調に関するいくつかの質問をした後、病院を訪れた目的を尋ねてきた。

 

「この病院で働く、ニコルさんに会いに来たんです」

 

 ベルがそう言った瞬間、受付の女性は困り笑いを浮かべた。

 

「あぁ……申し訳ないけれど、ニコル先生はいません」

「それって、どういうことですか?」

「先生は、つい先日退職されました。これ以上は個人情報だから教えられません。……ごめんなさいね」

 

 女性の様子を見る限り、本当に知らないようだった。

 ベルたちは、失意とともに来た道を戻るしかなかった。

 駅に向かう途中、墓参りに来ていたあの女性を探してみたが、すでに帰った後らしく姿はなかった。

 行きとそれほど変わらない時間で、ベルとアリシアは駅にたどり着くことができた。

 階段を上り、例の女性と言葉を交わした通路へ進む。

 

「なんとなくここまで来ちゃったけど……これから、どうしようか」

「ニコル氏に会えなければ、装置に関する情報はないに等しい。何とかして彼女を見つけないと」

「そうだよね……」

 

 言葉に詰まったベルは、何かヒントはないかとあたりを見回した。

 ふと、通路の窓越しに南側の街並みが見えた。

 北側とは比べ物にならないほどの、たくさんの色鮮やかな建物がひしめいている。

 

「南側に行ったら、何か情報がつかめるかな」

 

 ベルの呟きに、アリシアが反応した。

 

「それは……確かに、そうだな」

「それに、今日の宿も決めなきゃいけないし。行ってみよっか」

 

 少しだけ元気を取り戻した2人は、南側に通じる出口へと歩き出した。

 外に出た瞬間、2人は北側とあまりに違う風景に衝撃を受けた。

 窓からも見えていた、色鮮やかな建物。冷たい風に乗って鼻をくすぐる、おいしそうな食べ物の香り。

 同じ太陽に照らされているはずなのに、都市の南側はより輝いている。

 その中にあって、ベルは間もなく違和感に気づいた。

 一見、華やかに見える西部都市の南側。だが、色とりどりな外観に反して街は静かだった。

 誰もがマスクで口元を隠し、話し声もほとんどない。

 何より、子供の姿がほとんど見当たらなかった。

 マスクを着けていないからなのか、それともベルたちが“子ども”だからなのか。心なしか、ベルたちへ向けられる人々の視線が冷たい気がした。

 ベルは思わず、胸元に仕舞っていたペンダントを上着ごと握りしめた。

 不安に駆られたのはアリシアも同じだった。表情こそほとんど変わらないものの、装置――マルガレータから受け継いだ青い指輪――をはめた手が、不安げにベルの服のすそをつかんでいる。

 日が傾いてきたこともあり、ベルたちは西部都市最初の日の活動を打ち切ることにした。

 

 

 ☆

 

 

 その日の夜までに、ベルたちは良かったことと悪かったことの両方を経験した。

 悪かったことは、宿がなかなか決まらなかったこと。どの宿に行っても満室だと断られてしまったのだ。

 良かったことは、夜の闇が迫る中途方に暮れていたベルたちを助けてくれた人物がいたことだ。

 彼女は2人の事情を聞き、快く自宅を宿泊場所として提供してくれた。

 

「本当にありがとうございます、エマさん」

 

 温かい風呂の後、家庭的な雰囲気の料理が並ぶ食卓でベルが言った。 

 彼の言葉に、エマ――昼間の通路で、ベルたちに話しかけてきたあの女性は、穏やかな笑みを見せた。

 

「困ったときはお互い様って言うでしょ? 気にしないで」

「正直、とても助かった。まさか、こんなに宿が取れないと思わなかったから」

「西部の移動制限がなくなってから、一気に他の都市から人が来るようになったからね。こう見えても疫病前の西部は、それなりに人気な観光地だったんだから」

「知りませんでした……」

 

 ベルの正直な感想に、エマは声を上げて笑った。

 とても笑顔が似合う人だと、ベルはひそかに思った。

 

「さ、ご飯が冷めないうちに食べちゃいましょ」

 

 ベルたちはその言葉に甘え、優しい味の料理を楽しんだ。

 食事の後、ベルは気になっていたことをエマに尋ねた。

 

「この絵の人って……もしかして、ニコルさんですか?」

 

 エマの家には、たくさんの絵が飾られていた。その多くが、彼女とその家族のものだ。

 エマと同じくらい、笑顔にあふれた家族がそこにいた。ベルたちが滞在することになっている部屋は、もともと彼女の子どもたちが過ごしていた場所だったらしく、小さな子が喜びそうな絵が描かれた壁紙やカーテンがほとんどそのまま残されていた。

 思い出が詰まったたくさんの絵の中で1枚、特にベルの目を引いたものがあった。

 今よりも少し若い姿のエマと一緒に、黄金色の髪とエメラルド色の瞳をした女性が、楽しげな様子で描かれている。

 カロンの資料にあったニコルよりは若かったが、丸みのある顔立ちは似顔絵にも、そしてあの双子にもよく似ていた。

 

「ニコルに会いに来たって言ってたものね。……その通り。その絵は私とニコルだよ」

「ニコル氏とは、どんな関係なんだ?」

「小さいころからの友達。それと、ニコルたちが中央に行く前までは、同じ病院で働いてた」

 

 ニコルは、誰に対しても優しく寄り添ってくれる、天使みたいな人だよ。

 そう語るエマの穏やかな表情からも、ニコルがいかに大切な人なのかが良く伝わってきた。

 ――エマの瞳から、雫が一滴こぼれた。

 

「エマさん……?」

「病院で、聞いてきたんだっけ。ニコルが退職したって」

「はい」

「……ってことは、噂は本当だったのかな」

 

 エマが呟いた。

 ベルとアリシアは疑問を抱きつつも、彼女の次の言葉を待った。

 少ししてから、エマは絞り出すような声で言った。

 

「ニコルは、もう長くないんだね」

「……どういうことだ?」

 

 エマは深呼吸をしてから、アリシアの質問に答えた。

 

「疫病の流行を終わらせるために、ニコルは医師として働く傍ら、薬の研究にも関わっていたんだって。しかも、ニコルは新しい薬ができるたびに、必ず自分の体でそれを試していたと、本人から聞いたんだ。薬のせいか働きすぎなのかは分からないけど、会うたびに彼女はやつれていった。心配だったけど、同じ時期に家族が疫病にかかってしまって……どうしてもそちらにかかりきりになってしまって」

 

 エマは必死に気持ちを落ち着けようとしていたが、言葉も、そして涙も、静かに溢れていた。

 

「数日前、久しぶりにニコルが家にいるのを見かけて、思わず声をかけたの。そしたら、『お休みをもらった』って言ってて。詳しいことは教えてくれなかったけど、覚えていた姿よりもさらに痩せてた。……見ていられなかった」

「エマさん……」

「でも、ニコルはいっつも笑ってるんだよね。この前会った時も、『近いうちに、家族が遊びに来てくれるんだ』って笑いながら話してた。『それまでにちょっと太っておかなきゃ』なんて冗談まで言って」

 

 エマは袖で涙を拭うと、ベルたちに向かって言った。

 

「明日、ニコルの家に案内するよ。会えるかは彼女次第だけどね」

 

 そう言ったエマの表情は、悲しくも優しい笑顔だった。

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