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13話 エマとレーゲン

ElleNanaizumi

 ベルが“それ”を見たのは、2年ほど前のことだった。

 

 その日は、ルナとアリシアが初めて顔を合わせた日でもあった。

 のちに“いつもの中庭”となる、昼休みの学校の中庭。そこに、4人の子どもたちがいた。

 白銀の髪の少女アリシアと、黄金色の髪の少女ルナ。そして、2人の様子を見守るベルとハキーカ。

 軽く挨拶を交わした後、少女たちは互いにじっと見つている。

 ――そして、かつてベルとアリシアがそうしたように、しっかりと握手をした。

 

「これから、よろしく」

「……うん、よろしくね」

  

 真っ青な空の下で少女たちが微笑みあう。

 それを見て、ハキーカが安堵のため息をついた。

 

「出だしは好調、って感じだな」

「そうだね」 

 

 当時のベルたちはアリスのの事件を知らなかった。そのため、彼らは入学から1年以上経つアリシアが、ベルとハキーカ以外の生徒と交流する様子を見せないことを気にかけていた。

 そんな時、ハキーカとベルの友人である、双子のモントとルナが同じ学校に入学することが決まった。いい機会だと判断したベルたちは、アリシアを双子に引き合わせることを計画したのだった。

 アリシアとルナが並んで昼食の準備を始めるのを眺めていたベルは、気になっていたことをハキーカに尋ねた。

 

「そういえば、モントはどうしたの?」

「それがさ」

 

 ハキーカが中庭に連れてきたのはルナだけだった。双子の片割れ、モントは最初からここにいない。

 彼は苦笑しながら答えた。 

 

「教室に迎えに行ってきたんだけど、なぜかモントがクラスの人気者になってたんだよ。せっかく仲良くなったクラスメートと引き離すのも悪いかと思って、ルナにだけ声をかけてきたんだ。……ルナ、あいつ何かやったのか?」

 

 ルナは食事をする手を止めて俯いた。

 

「ルナ?」

「あんなこと……恥ずかしくて、言えないよ」

 

 ルナはそれ以上何も言わなかった。ちなみに、ハキーカが真相を知って笑い転げるのはもう少し後のことになる。

 ルナの様子を見ていたベルは、別の質問をすることにした。

 

「それ、どうしたの?」

 

 ルナの髪に、見慣れない飾りがついていた。

 月を半分に割ったような見た目の髪飾り――バレッタだ。

 

「入学式の日に、ママが送ってくれたの。兄さんは同じ形のブローチをもらってる」

「そうなんだ。……ルナたちのお母さん、今は西部にいるんだっけ」

  

 ルナは少し寂しそうに笑いながら頷いた。

 

「プレゼントも嬉しいけど、ママに会えるようになるなら、私はそれが一番嬉しい」

「早く、会えるようになるといいね」

 

 ベルは、心からそう思った。

 ――彼女の願いが叶うまでは、あと2年待たなければならない。 

 

 

 ☆

 

 

 ベルたちが西部都市に到着した翌日。 

 前日の約束通り、エマはベルとアリシアを連れてニコルの家へと向かっていた。

 昨日と同じく、天気は快晴。雲ひとつない青空と鮮やかな街並みの対比は、観光地と呼ばれるにふさわしい美しさがある。

 ――だが、やはり道行く人々に活気はなかった。

 静まり返った大通りに不安を抱きつつも、ベルとアリシアは先を歩くエマについていった。

 道中、エマは雑貨店に立ち寄ることにした。ベルたちが続いて店内に入ると、真っ先にマスクが陳列された棚が目に入った。

 

「好きなのを選んで。……街の人は、マスクを着けていないと白い目で見てくるから」

 

 代金は、エマがほかの買い物と一緒に払ってくれた。彼女の助言に従って、早速2人はマスクで鼻と口を覆った。

 慣れないマスクは少し息苦しかったが、店を出た瞬間から効果を発揮した。それまで向けられていた刺すような視線がなくなっていたのだ。

 見た目で判断するなんて、ひどい。

 ベルの頭に一瞬そんな考えが浮かんだが、すぐに考えを改めた。それだけ西部の人々にとって、疫病は大きな脅威だったんだ、と。

 

「見えてきた。あそこにあるのが、ニコルの家だよ」 

 

 目的地の一軒家は、雑貨店からそれほど離れていない住宅街の一角にあった。こじんまりとした建物で、お菓子の家のような色合いをしている。

 なんとなく、モントが寝ぼけてかじりつきそうだとベルは思った。

 

「あれ……?」

 

 目的地を前に、ベルは胸元から光が漏れていることに気づいた。

 予想通り、光の発生源は服の内側に仕舞っていたペンダントだった。

 ベルが急に立ち止まったことに気づいて、アリシアとエマが振り返った。

 

「あら、綺麗なペンダント」

 

 何も知らないエマは朗らかに言った。

 だが、ベルとアリシアは経験している。

 近くにアルケーもしくはそれに関係するもの――小型のアルケーや、あるいは装置――がある。

 アリシアは自身が指にはめている指輪を見た。こちらも、ペンダントほどではないが、わずかに光を発している。

 2人はエマに断りを入れてから、脇道の人がいない場所へ移動した。

 

『近くに腕輪を持った者がいる』  

 

 マルガレータ――北部都市の初代装置管理者――が、ベルたちに聞こえる程度の声量で語りかけた。

 アリシアが指輪をはめた手を目線にまで持ち上げると、その上にリンゴほどの背丈になったマルガレータが全身を現した。

 半透明で小さいことを除けば、北部都市で見せた姿と全く変わらなかった。アリシアと同じ銀髪に赤い目、そして白い肌。まるで、おとぎ話に出てくる妖精のようだ。

 残念ながら羽はないし、鉄の仮面をつけているように感情の読み取れない顔をしていたが。

 

「そんなこともできるのか」

『この方が会話がしやすいだろうと思ってな』

 

 2人は感心しつつ、最初に彼女が言ったことを確かめることにした。

 

「あの、マルガレータさん。腕輪を持った人が近くにいるって本当ですか?」

『北部で感じた、あの嫌な感覚がある。まず間違いない』

「どこにいるかまでは、分からないですよね」

『生憎だが、その通りだ』

「……注意するしかないな」

 

 話はここで終わりだろうと思っていたベルとアリシアは、マルガレータが次に発した言葉に耳を疑った。

 

『ルーク、いい加減出てきたらどうだ。私にできて、そなたができないはずがない』

 

 ベルは思わず、ペンダントを目の高さに持ち上げて見つめた。

 額縁のような金色の枠にはめられた透明なガラスの内側で、5つの歯車が静かに回っている。

 ペンダントが発する、夕日のような温かい黄色の光は、ベルが手にしてから初めて見る光の色だった。

 

『マルガレータがいるなら、僕の出番はいらないと思って』

 

 聞こえた声は、ベルが列車で男に襲われたときに聞いたのと同じ声だった。

 そしてペンダントの横に、小さな細身の男性が姿を現した。

 

『こうなった以上、ちゃんとあいさつしないといけないね……。僕はルーク。このペンダントを作った者だ』 

「あなたが、ルーク……さん」

『はじめまして、だね。ベル、そしてアリシア』

 

 ベルとアリシアは息を呑んだ。

 実際に見てみると、『系図』で見た以上にルークはよく似ていた。

 淡い金色の癖毛と空色の瞳はベルに。

 そして背格好や顔立ちは、クロに。

 ……どうして、僕たちはこんなに似ているの?

 

「ルークさん、僕、聞きたいことが――」

 

 まくし立てるベルの唇に、ルークは優雅な動きで自身の小さな人差し指を当てた。

 実体があるわけではないが、ベルはもやっとした感覚がそこに当たるのを感じて言葉を飲み込んだ。

 

『クロもよく言っているはずだよ。時が来たら分かるって』

「だけど……!」

 

 あくまで口調は穏やかだが、ルークの雰囲気には有無を言わせない何かがあった。

 ルークはマルガレータの方を向いて言った。

 

『マルガレータ、近くにあるのは腕輪だけじゃないよね』

『そうだな。装置も、そう遠くない場所にある。だが……』

 

 マルガレータの表情は険しい。しかし、ルークにとってそれは想像通りの反応だった。

 

『やっぱり、マルガレータもそう感じるんだね』

「どういうことだ」

 

 アリシアが尋ねると、ルークは困り顔で答えた。

 

『気配って言えばいいのかな。反応が3つあるんだけど、どれも弱いんだ』

「3つ……?」

『マルガレータの指輪を手にした時のことは覚えているかい?』

 

 2人は頷いた。

 数日前に起きた、北部都市での事件は今でも鮮明に思い出せる。

 あの時、ペンダントは青く光っていた。

 

『あの時は腕輪も近くにあったからというのもあるけれど、今とは比べ物にならないほど光っていたよね』

「あ、確かに……それに、今回の光は黄色いです」

 

 ルークは求めていた答えが返ってきたことに、満足げな笑みを浮かべて続けた。

 

『黄色い光は、西部に渡った装置の存在を示している。ただ、反応が弱いという事は……何か問題が起きているかもしれない』

「問題って、例えば?」

『壊れているとか、何か封印がかけられているとか……残念ながら、僕らにもそれ以上のことは分からない』

 

 ルークの言葉通りなら、装置は近くにある。

 だが、それは何らかの理由で完全ではない可能性がある。

 頭の中で情報を整理してから、ベルは言った。

 

「ニコルさんに話を聞けば、何かわかるかも。そもそも、ここにいるのはそのためなんだから」

「そうだったな。……となれば、これ以上エマ氏を待たせるわけにはいかないな」

 

 子どもたちの行動が定まったことを察して、ルークとマルガレータはすっと姿を消した。

 ベルとアリシアは、エマのいる場所へ戻った――ペンダントは、光が漏れないようできるだけ服の奥へ仕舞った。

 

「さっきのペンダントって、何か特別な魔法具だったりする?」

「僕たちにとっての、お守りみたいなものです」

 

 半分嘘で、半分本当。

 ベルは自分に言い聞かせながら、エマの質問に答えた。

 

「そういうのを持ちたがる時期ってあるよね」

 

 エマは、それ以上突っ込んだ質問はしなかった。

 てっきり深堀りされるかと警戒していたベルは、少しだけ安心した。

 同時に、小さな違和感を抱いた。

 さあ、早く行きましょう――エマは言いながら、明らかに手首をベルたちに見せないように隠す動きをしたからだ。

 出会って間もないとはいえ、それが自然な動きでないことは子供たちの目から見ても明らかだった。

 もしここで再びペンダントを見ていたら、その行動の理由が分かったかもしれない。だが、彼の頭の中はペンダントの存在を隠すことでいっぱいになっていた。――たった1つの大きなミスを犯しながら、3人は目的地を目指した。

 エマの言葉の通り、目的地はすぐそこだった。

 

「マスクは外して大丈夫だよ」

 

 住宅街は人気がなく、とやかく言ってくる通行人がいない。エマの言葉はそれを受けてのものだったが、ベルたちがそれを理解したのは彼女が率先してマスクを外した後だった。

 ベルたちが彼女に倣ってマスクを外している間に、エマが玄関の呼び鈴を鳴らすと、ばたばたと騒がしい足音が家の中から聞こえてきた。

 少しの間をおいて開いた扉から、ベルたちの見慣れた顔がのぞく。

 

「え、ベルに……アリシア!?」

 

 モントは驚きで声が裏返っていた。

 遅れて、ルナともう1人――父親のレーゲンが姿を現す。

 ニコルが太陽だとすれば、レーゲンは月を思わせる雰囲気を持っていた。

 色白で長身のレーゲンは、いつも自分で製作した西部都市の民族衣装を身に着けている。彼が経営する手芸店の宣伝と彼自身の趣味を兼ねていると、以前ベルは本人から聞いたことがある。今日は不思議な文様の布を使った、ゆったりしたローブのような服を着ていた。

 レーゲンは双子の友人たちに軽く挨拶をした後、エマに声をかけた。

 

「おはよう、エマ」

「おはよう、連絡もなく来てしまってごめんなさい」

 

 お詫び代わりにと、エマが雑貨店で買っていたお土産をレーゲンに手渡した。

 

「ありがたくいただくよ。だけど……どうしてベルたちと一緒に?」

「ちょっとした縁があってね」

 

 エマがこれまでのことをかいつまんで話した。

 当然だが、ベルたちはアルケーや装置についての話は一切していない。エマの話を注意深く聞いたが、彼女がそれらに関する話をすることはなかった。

 レーゲンは静かに聞いた後、彼らを家の中へ招くことにした。

 居間のテーブルに客人たちをつかせてから、レーゲンは彼らに言った。

 

「ちょっと待ってて。今、お茶を入れてくるよ」

「父さん、私も手伝う」

「ボクはお菓子を持ってくる」

 

 レーゲンとルナが台所に消えていった。モントは籠を手に、食糧庫を物色している。

 客人の3人は居間のソファで準備が整うのを待っていたが、レーゲンたちが戻る前にエマが立ち上がった。

 

「エマさん?」

「ちょっとトイレに」

 

 そう言って、彼女はそそくさと部屋を出てしまった。その時も、できるだけ手首を見せないようにしながら。

 数分後、レーゲンたちがお茶のセットを持って居間に姿を現した。

 レーゲンは部屋を見回すと、ベルたちに尋ねた。

 

「エマはどこだい?」

 

 トイレに行ったとベルが答えたところ、レーゲンは不思議そうな顔をした。

 

「珍しいな。エマは人の家のトイレを使わないことで有名なのに」

「そうなんですか?」

「前に本人が言っていたんだ。『家のトイレじゃないと落ち着かないんだ』って」

 

 その場にいた誰もがわずかな疑念を抱いた瞬間、真上からガシャン、と音がした。

 

「ニコルの部屋からだ……様子を見てくるから、みんなはここで待ってて」

 

 レーゲンはそう言って、急ぎ足で部屋を出て行った。

 子どもたちだけになった空間で、最初に口を開いたのはアリシアだった。

 

「ベル、光が漏れてる」

 

 彼が服の内側からペンダントを取り出すと、黄色の光が部屋中に広がった。

 先ほどよりも強く輝くペンダントのそばに、小さな姿でルークが現れた。

 

『腕輪と装置、両方がすぐ近くにある』

 

 モントは突然現れた小さな存在に何かを言いたげだったが、ルナがそれをたしなめた。ベルは心の中でルナに感謝しつつ、目の前にいるルークの話に集中することにした。

 

『腕輪と、3つある装置の反応のうち2つは、この部屋の真上からしている』

「ということは、ニコルさんと敵が一緒に……?」

『悪いけど、それは分からない』

 

 ルークはさらに続けた。

 

『1つの装置の反応は、すぐそばにある』

「……もしかして」

 

 ベルは、以前ルナが教えてくれたことを思い出した。――入学式の日に、ママが送ってくれたの。兄さんは同じ形のブローチをもらってる。

 彼はルナに視線を向けた。

 ベルの予想通り、髪飾りが光を放っていた。ペンダントの光に気を取られて、誰も気づかなかったのだ。

 だとすればモントのブローチも光っているはず。そう思ってベルはモントに目をやったが、彼がいつも胸に着けているはずのブローチは、そこにはなかった。

 

「モント、いつもつけているブローチはどこにある?」

 

 ベルは真剣な表情でモントに尋ねた。

 滅多に見せない表情に戸惑いつつ、モントは答えた。

 

「寝室に置いてきた」

「その寝室はどこにあるの?」

「ママの部屋の隣だけど……ベル、どこ行くんだよ!?」

 

 次の瞬間、ベルは部屋を飛び出して2階を目指した。ほかの3人も後に続く。

 角度のある階段を上った先には、3つの扉。そのうち2つの扉が開いている。

 片方はモントの部屋。泥棒にでも入られたように、部屋が荒れているのが見えた。

 だがもうひとつの部屋は、それ以上に凄惨だった。

 

「ママ! パパ!」

 

 ベルのすぐ後ろで、ルナの悲鳴に近い叫び声が上がった。

 床に倒れた女性――ニコルが声の発生源へ目を向ける。

 

「子ども、たち……!」

 

 モントとルナが近寄ろうとするのをニコルは目で制し、それから笑顔を作って言った。

 

「危ないから、来ちゃダメ」 

 

 ニコルはじりじりと体を起こし、部屋の中央をにらみつけた。

 レーゲンは、苦しそうにもがきながら宙に浮いている。

 部屋の中で唯一自分の足で立っているエマは、眉1つ動かす様子もなくレーゲンへ手を向けていた。その手首に、見覚えのある腕輪を身に着けながら。

 それを見た瞬間、ベルとアリシアは頷きあって意識を集中させた。

 ベルのペンダントとアリシアの指輪が強い光を放ち――間もなく、エマがつけていた腕輪は粉々に砕けた。

 エマとレーゲンの体が崩れ落ちる。

 ニコルは半ば這いずるようにして2人のそばに寄った。

 

「レーゲン……エマ……!」

 

 名前を呼びながら、呼吸や脈を確かめていく。元医師というだけあって、その手つきは慣れたものだった。

 幸いなことに、2人とも気を失っているだけだった。ニコルはベルたちのちからを借りながら、レーゲンとエマがが呼吸をしやすい姿勢にして横たえた。

 ベルたちはニコルのそばに寄って、改めて彼女を見た。

 渡された資料より少しやせてはいるが、黄金色の髪や双子にも引き継がれている丸みのある顔立ちは、間違いなく探していたニコルそのものだった。

 ベルが話しかけるよりも先に、双子が彼女に抱きついた。

 

「ママ、ママ!」

「大丈夫? ケガしてない……?」

 

 2人の頭を撫でながら、ニコルは答えた。

 

「大丈夫。大丈夫だからそんなに泣かない」

「泣いてないよぉ……!」

「はいはい、泣いてないね」

 

 頭を撫でる手を止めずに、ニコルはベルに目を向けた。

 

「ベル、久しぶり。大きくなったねぇ」

「僕のこと覚えてるんですか?」

「珍しい髪質だもの。忘れる方が難しいね」

 

 その言葉が本気か冗談か判断できず、ベルは苦笑いするしかなかった。

 次にニコルはアリシアに話しかけた。

 

「女の子の方は初めましてかな」

「アリシアだ、よろしく頼む」

「あなたがアリシアね。ルナが言ってたよ、『すごく綺麗な銀髪の、本当のお姉さんみたいな友達ができたんだ』って」

 

 アリシアは目を丸くして、それから優しく微笑んだ。

 

「ルナがそんなことを……嬉しいな」

「うちの子たちを、これからもよろしくね」

 

 その時、レーゲンが意識を取り戻して小さく呻いた。

 ニコルたちはそばに寄って様子を確かめた。

 

「ニコ……」

「大丈夫、すぐに良くなるから」

 

 ニコルはレーゲンの胸のあたりに手を置いた。

 最初は苦しそうな表情をしていたレーゲンが、次第に普段通りの穏やかな状態を取り戻していく。ニコルが得意とする、治療の魔法だった。

 少しして、レーゲンがニコルの手を自分の手で握った。

 

「ニコル、僕はもう大丈夫だ」

「でも……」

「君の辛そうな顔では、僕は元気になれない」

 

 レーゲンの言う通り、ニコルの顔には大粒の汗が滴り、息も上がっていた。

 いくら得意な魔法といっても、体力の落ちた今のニコルにとって大きな負担であることは間違いなかった。

 ニコルが手をよけると、レーゲンはゆっくりと体を起こした。

 

「エマは……まだ、目覚めていないみたいだね」

 

 攻撃を受けていたにも関わらず、レーゲンが彼女を見る目に怒りや憎しみは込められていなかった。

 ニコルが不安そうに言った。

 

「レーゲン、エマを責めないであげて。彼女は――」 

「あの時のエマは、普通じゃなかった。そうだよね?」

 

 穏やかな笑顔を見せて、レーゲンが言った。

 

「どんな事情があったかは分からない。でも、僕が知っているエマはこんなことをしないのは、さすがに僕でも分かる――今回のことでエマを責めたりはしないよ」

「レーゲン……」

「その代わりに、知ってることを話してくれないか? ここにいる僕たちには、知る権利がある」

 

 ニコルはレーゲンを、そして子どもたちの顔をゆっくりと見回してから頷いた。

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