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6話 食堂車でのできごと

ElleNanaizumi

更新日:2024年10月26日

 列車は、いよいよ山脈越えの行程に入っていた。

 アリシアが言っていた通り、平野とは比べ物にならないほど車体が揺れた。線路は山々の間を縫うように敷かれていて、ある時は深い谷を横目に見ながら、ある時は両側をほぼ垂直な山肌に囲まれながら進んだ。

 アリシアの忠告に従ったにもかかわらず、ベルは乗り物酔いをしてしまっていた。

 行儀が悪いとは思いつつ、長椅子の上に身を横たえると、少しだけ気分がよくなった。


「山道が終わるまで2時間ほど、それまでの辛抱だ」

「ありがとう、アリシア……うぅ……」

「確か、食堂車で水がもらえたはずだ。もらってこようか?」

「自分でいける、よ」


 そうは言うものの、ベルの顔は真っ青で、とてもじゃないが客室から出ることもできそうになかった。


「すぐ戻る」


 アリシアはベルの返事を待たずに、食堂車へと向かった。

 ――それから20分ほど経っても、アリシアは戻らなかった。

 横になっていたおかげか、あるいは揺れに慣れたのか、ベルの気分は格段に良くなっていた。すると今度は、戻らないアリシアが心配になった。

 何かあったのだろうか。ふと、胸元のペンダントを見ると、ほのかに光っているのが見えた。


「え……?」


 ペンダントが光るのは、近くにアルケーがあるかららしい。

 ということは、近くにそれを持った人物――クロを襲った犯人がいるのか?

 そして、いまだに戻らないアリシア。まさか、その犯人に捕まったのだろうか。そうだとしたら、どうしてアリシアを?

 疑問は次々と浮かんだが、ベルがとった行動には迷いがなかった。

 客室から通路へ出る。アリシアが向かったはずの食堂車は、ベルの現在地から2つ先の車両だ。次の車両の通路を早足で進むと、ペンダントの光が徐々に強くなった。

 そして、目的地だった食堂車に到着した。

 一見すると、誰もいない空間。

 だけど、ベルはペンダントを通して知っている。

 近くに、アルケーを持った人がいる。

 左手でペンダントを握りしめながら、ベルは注意深く車内に目を向けた。

 カウンターをはじめ、机や椅子が多く、隠れるにはうってつけの場所だ。

 一方のベルは、ペンダント以外に相手を探す手段も……そして、もし襲撃者と遭遇した場合に、対抗する方法も持っていない。


「……ベル……!」


 ふと、名前を呼ぶ声が聞こえた。

 カウンターの影から、わずかに顔を出したアリシアが手招きをしている。

 急いで彼女のもとに向かい、2人でできるだけ奥まった部分に身を隠した。


「何があったの?」

「ここよりも向こう側の車両から、男が来るのが見えた。普段なら、特に気にかけたりしないんだが……」


 アリシアの声はわずかに震えていた。


「その男を見た瞬間、私は怖くてたまらなくなった。見た目じゃなくて、雰囲気というか、何か異質なものをまとっているように感じたんだ」

「その人に、何かされた?」

「いや……見つかる前に、ここに隠れた。客室に戻らないととは思っていたけど、またあの男に会ったらと思うと、体が動かなかった」

「そうだったんだね……ごめんね、僕が動けなかったせいで」

「ベルは悪くない。体調はどうなんだ?」

「僕はもう大丈夫。だけど、アリシアが言っていた人が気になるね」


 ベルがそう言った瞬間、ペンダントが一層強く光った。もはや、アリシアに存在を隠すことができないほどだ。

 そして、その光に気づいた人物はもう一人いた。

 カウンターの近くに、男が一人立っている。


「ベル!そいつだ!」


 アリシアの言うとおり、男のまとう雰囲気は異様だった。彼の周りだけ、空気が凍てついたような感覚。ひどくやせこけた姿に対して、瞳だけがぎらぎらと光を反射して、こちらを見ている。そして、骨と皮だけになった手首に不釣り合いな、目玉ほどの大きさがある球をはめ込んだ腕輪が目を引いた。

 ペンダントは、相変わらず強く輝いている。だが、この男がアルケーを持っているとはベルには思えなかった。

 どういうことだろう――深く考える間もなく、男がベルたちに突っ込んできた。

 単調な動きだったので、2人は男の突進を避けて、より広い位置へと移動することができた。距離をとることには成功したが、男はじりじりと2人に近づいてくる。


「アリシア、乗務員さんを呼んできて!」

「ベルは――」

「僕は大丈夫、何とかする」

「……分かった、すぐ戻る!」


 そう言って、アリシアは食堂車を飛び出した。


「……」


 アリシアには大丈夫、といったものの、ベルにはまったくと言っていいほど策がなかった。

 男が、再び突進してきた。やはり単純な――野生動物を思わせる動きだ。そのおかげで、男が徐々に傷だらけになっていくのに対し、ベルはほとんど無傷で済んでいた。


「でも、このままじゃ……」


 男が異常だったのは、雰囲気だけではなかった。どんなに傷を負っても、男は一切躊躇することなくベルに襲い掛かる。

 このままだと、あの人は意識を失っても襲ってくるかも――悪い想像が、ベルの思考を満たした。


『腕輪の球が壊れるように、強く願うんだ』


 ふと、低く冷静な声がベルの脳内に流れた。知らない声だ。当然、目の前の男の声でもない。だがその声のおかげで、パニックになりかけていたベルの心は落ち着きを取り戻した。

 訳は分からないまま、ベルは声の言う通りに願った。


「お願い、あの球を……壊して!」


 男の腕輪にはめられていた球が、粉々に砕けた。

 次の瞬間、甲高い音が車両内に響き、男の体から幽霊のような塊が飛び出した。塊は車内を一周して窓ガラスを粉々にした後、外へ飛び出していった。男は、ばたんと大きな音を立てて倒れた。

 風通しの良くなった車内で、ベルは男の様子を急いで確認した。

 意識を失ってはいるが、呼吸はある。命を奪ったわけではないことに安心したものの、人を傷つけてしまったことはベルにとって少なからずショックだった。それがたとえ、自分を襲ってきた相手だったとしても、だ。

 間もなく、アリシアと数人の乗務員が食堂車に到着した。

 ベルはおおまかな事情を説明した。ベル以外に目撃者がいないこともあり、ひとまずは納得してもらうことに成功した。男は、乗務員に拘束され、駅に到着後警察に引き渡されることになった。

 ベルとアリシアが客室に戻るころには列車は山を越えていて、窓の外には再び平野が広がっていた。空の色も、少しずつオレンジ色に染まっている。


「なんだか、すごく疲れた感じがする」

「私も、同じことを思ってた」


 ようやく、2人は緊張から解放されて笑いあった。

 落ち着いてから、アリシアはベルに尋ねた。


「食堂車にいたとき、ベルの胸のあたりが光っていた」


 今、ペンダントは光を失った状態で、ベルの服の内側に収まっている。

 結局、ペンダントが光った明確な理由はわからないままだった。


「昨日、夕食の時に見たのと同じ光だ。……また、ペンダントが光っていたのか?」

「……うん」

「北部行きは、ペンダントがかかわっているのか?」

「……うん」


 ベルは申し訳なさそうに、だけどはっきりと言った。


「ごめんね。今はまだ、これ以上言えない」

「……分かった」


 アリシアは一瞬寂しそうな顔をして――すぐに、いつもの表情に戻った。

 それから、さらに2時間ほど経過した。

 太陽はすっかり沈み、藍色の空にいくつもの星が輝いている。

 食堂車での1件を除けば大きな問題もなく、ベルとアリシアは無事に北部都市へ到着した。改札を抜けて外に出ると、ひんやりとした空気が二人を出迎えた。

 人の流れを邪魔しないように駅の建物から離れ、存在感のあるもみの木の下まで移動した。アリシアによると、このもみの木は待ち合わせの目印としてよく使われているのだという。


「私はここで姉さんの迎えを待つ。ベルはこの後どうするんだ?」

「僕も、迎えが来ることになってる。ローザさんっていう、女の人なんだって」


 名前を聞いたアリシアは、首をかしげた。


「ローザ?私の姉さんもローザというんだ」

「すごい偶然だね」

「偶然にしてはできすぎているような……」


 数分後、2人のもとに1人の女性が歩いてきた。

 アリシアと、よく似た雰囲気の女性だった。違いは、アリシアより少し背が高くて、髪を後ろで団子状にまとめていること。服は、アリシアが黒い格好をよく着るのに対し、女性は雪のように白い、大人びた服を着ている。

 女性は、微笑みながらアリシアに声をかけた。


「久しぶりね、アリシア」

「ああ、ただいま。姉さん」


 アリシアに警戒する様子は見えない。

 この人がアリシアのお姉さんの、ローザさん。

 と、ローザがベルの視線に気づいた。アリシアに尋ねる。


「この子は?」

「クラスメイトのベル。偶然、列車の中で会ったんだ」


 ローザは改めてベルのほうを向いて言った。


「初めまして。私はローザよ」

「こんばんは、ローザさん。僕はベルです。よろしくお願いします」


 挨拶を終えたところで、ローザはベルに言った。


「ベルくん、私の知り合いに似ているのよね」

「え?」

「クロさんっていう男性なんだけど」


 クロの名前が出たことに、ベルとアリシアは驚いた。


「ベル、クロというと……昨日の」

「うん……」


 ベルはローザに尋ねた。


「クロさんを知っているんですか?」


 今度は、ローザが驚く番だった。


「え、ええ。今アリシアが乗っていた列車で北部に来るから、迎えに行くことになっていたんだけど……ベル君は、クロさんとはどういう関係なの?」

「僕は……クロさんの代理として、装置を預かりに来ました」


 ローザは目を見開いた。


「クロさんに、何かあったの?」

「昨日の夜、クロさんは襲われて怪我をしました」


 言葉を失うローザに、ベルはペンダントと、クロの手紙を見せた。


「僕にとって、クロさんは家族同然の人なんです。……クロさんが襲われた後、僕は事情を知って、クロさんに協力することにしました」


 少しの間考え込んだあと、ローザはベルとアリシアに向かって言った。


「……ひとまず、2人ともうちへ帰りましょう。おじい様を交えて話をする必要があるみたい」

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