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9話 雪解け

ElleNanaizumi

更新日:2024年10月26日

 ベルは、見慣れない――だが見覚えのある部屋、アリシアの家の客室で目を覚ました。


「あれ、僕……市議会の建物にいたはずなのに……」


 窓の外は、淡い青色の空が広がっている。

 そして、部屋の時計は6時を指していた。

 タイミングを図ったように扉が叩かれ、イーニーが部屋に入ってきた。


「ベル様、おはようございます」

「おはようございます」


 ということは、今は朝なのだろうか。挨拶を返しながらベルは推測した。

 イーニーは持ってきたポットからお茶を注いでベルに手渡した。


「朝食の用意はできておりますが、先にこちらをお飲みください。温まりますよ」


 すすめに従って、ベルはカップの中身を一口飲んだ。

 ちょうどいい温かさとすっきりした味わいのおかげで、ぼんやりしていた意識がはっきりしていく。


「体調はいかがですか」


 イーニーがベルに尋ねた。


「ちょっとだるい感じはありますけど、それ以外は特に。……あの、僕はどれくらい眠っていたんですか?」

「およそ半日、ですね」


 それなりに長い時間眠っていたのか。普段は7時間ほどで目覚めるベルにとって、初めてと言ってもいいほどの睡眠時間だった。

 驚きを流し込むように残っていたお茶を飲み干すと、イーニーがカップを引き取ってくれた。

 それからようやく、ベルは事件後のことを思い出した。

 ふらついたアリシアを支えたまでは良かったのだが、間もなくベルも強い疲労感と眠気に襲われたのだ。

 そこからの記憶は、ない。


「……みんなは、どうなりましたか?」

「ドゥーブ様、アリョール様、コーシュカ様については、細かな怪我はあるものの支障はないとのことです。ローザ様もお怪我はありません。アリス様に関しては、今のところ新しい情報は頂いておりません。そしてアリシア様ですが――」


 扉を叩く音で、イーニーの言葉が中断された。

 どうぞ、ベルが答えると、部屋着姿のアリシアが部屋に入ってきた。


「……それでは、私は失礼いたします」


 イーニーは去り際に、ベルへ耳打ちした。


「昨晩から、アリシア様は何度も見舞いに訪れておりましたよ」

「え?」


 その言葉にベルが反応する前に、イーニーは部屋を去っていた。

 先に挨拶をしたのはベルだった。


「おはよう」

「おはよう。調子は?」

「悪くはない、かな。アリシアは?」

「私も、悪くはないな」

「そっか」


 ベルは、ずっと気になっていたことを尋ねた。


「……その髪、どうしたの」

「ああ、これか」


 腰まであった白銀色の髪が、肩のあたりまで短くなっている。

 毛先は外側にはねていて、少しだけモントの髪型を思わせた。

 大きな変化のはずだが、当のアリシアはなんでもないようにさらりと答えた。


「炎で髪が傷んだから、切ってもらった」

「あ……」


 昨日の、背中を向けたアリシアが思い浮かんだ。

 焦げて縮れた毛先や、服の裾――ベルは胸が痛くなって、眼の前にいる彼女を見ていられなくなった。

「ごめん」


 視線を下に向けたまま、ベルが言った。


「僕のせい、だよね」

「……違う」


 顔を上げてくれ。

 ベルがその通りにすると、アリシアはじっとこちらを見つめていた。


「悪いのはグラナートだ。ベルでもなければ、操られていたアリスのせいでもない」


 ベルは反論しようとしたが、それよりも先にアリシアが言った。


「あの時ベルに何かあったら、私は死ぬまで後悔し続けたはずだ。もしかしたら、アリスの時以上に。……髪も服も、ベルを助けられた証だと思えば、嬉しいくらいだ」

「でも……!」

「言い方を変えようか。……『今後このことで謝ったら、24時間口をきかない』」

「そんな!」


 困り果てるベルを見ておかしそうに笑うアリシアだったが、ふと思い出したように言った。


「そうだ。2つ、聞いておきたいことがあるんだ」


 ベルは首を傾げた。


「ひとつは、これに関わること」


 アリシアは、自らの指にはめた青い指輪をベルの眼の前にかざした。


「昨日の夜、おじい様からも聞いてはいるが……ベルの口からも聞きたいんだ」


 事件の前なら断っていた。

 だけど、今回のことを通じて、もはやアリシアも当事者の1人になっている。

 ベルが断る理由はなかった。


「わかった。僕の知っていることはできるだけ話すよ。今日の午前中、時間あるかな」

「大丈夫だ」

「それで、もう1つの聞きたいことはなに?」

「それは、……その」


 ぎこちない動きのアリシアの手が、自身の髪に触れた。


「今更だが……髪型、変だろうか?」


 不安げに尋ねるアリシアに、ベルははっきりと答えた。


「変じゃないよ。最初はびっくりしたけど……可愛いと思うな」


 アリシアは目を見開いて――それから、顔を真っ赤にしてばっと立ち上がった。


「アリシア?」

「朝食まだだろう、早く食べに行こう。先に行ってる」


 そう言って、そそくさと部屋を出ていってしまった。


「変なこと言っちゃったかな」


 不思議に思いながらも、ベルは普段通りに身支度を始めた。

 部屋着からいつもの格好――シャツと細身のズボン――に着替え、部屋に備え付けの鏡で寝ぐせを確認する。

 淡い金色の癖毛はいつもより少しだけ落ち着いているように見えた。空気が乾燥しているからだろうか。

 準備を済ませてから部屋を出ると、ひんやりとした空気が体を包んだ。

 ベルの部屋から食堂に向かうためには、途中で玄関を通る必要がある。

 彼がちょうどそこを通りかかった時、設置されていた呼び鈴が鳴らされた。

 イーニーを含め、ほとんどの人が食堂にいるはずだ。そうすると、一番近くにいるのはベルになる。

 相手を待たせるのも悪いと思って、ベルは思い切って扉を開けた。


「――君は、昨日の」


 そこにいたのは、コーシュカだった。

 肩で息をする様子から、彼が急いでここへ来たことはすぐに分かった。


「ベルです。……コーシュカさん、でしたっけ」

「ああ、そうだ。ローザたちはいるかな」

「呼んできます!」


 ベルはすぐに彼女たちを呼びに行った。

 間もなく、食堂にいたローザとアリシアを連れて、ベルが玄関へ戻ってきた。


「こんなに朝早く、どうしたの?」


 ローザが尋ねると、コーシュカは興奮を隠しきれない様子で答えた。


「アリスが目を覚ましたんだ!」

「――本当、なの」

「ああ、ついさっきだ。急いで知らせなきゃと思って、走ってきた!」


 コーシュカが言い終える前に、ローザは彼に抱きついていた。


「良かった……!」


 そう言って、幼馴染の肩に顔を埋めるローザ。コーシュカは静かに、だがしっかりと体を抱きしめ返した。


「……僕、食堂に行こうかな」

「奇遇だな。私も同じことを考えていた」


 ベルとアリシアは、抱き合う2人を置いてその場を離れた。



 ☆



 イーニーが用意してくれていた食事を終えたベルとアリシアは、その足で書庫へ向かった。

 書庫の中は、朝の白い光で満たされていた。

 ベルは、直射日光が本に当たらないよう、窓の位置やガラスが工夫されていることに気付いた。


「僕、やっぱりこの部屋が一番好きだな。教えてくれてありがとう」

「そう言ってもらえて何よりだ」


 あの日の夜と同じように、2人は備え付けの椅子に座って向かい合った。

 あの日と違って、アリシアの表情に迷いはない。

 紅い瞳がまっすぐにこちらを見ている。

 ベルは深呼吸をしてから、自分が知っていることをアリシアに伝えた。

 ドゥーブからどのような話を聞かされていたかはわからないが、アリシアはベルが話すことをしっかりと聞いてくれていた。


「――僕が知ってるのは、ここまで」

「そうか」

「話すのが遅くなって、ごめんね」

「口止めされていたんだろう、仕方ないよ」


 本当は、早く話してほしかったけど。そう言ってアリシアは寂しそうに笑った。

 話の流れを変えるために、ベルは彼女に尋ねた。


「ドゥーブさんからは、どんな話を聞いたの?」

「ベルの話と、ほとんど同じ内容だ。それ以外だと、少し気になる話を」

「それって?」

「マルガレータとフェリシアの――」


 アリシアは最後まで言うことができなかった。

 扉が開き、ローザが入ってきたのだ。


「イーニーに、ここにいるって聞いたの。……お邪魔しちゃった?」


 玄関での出来事を棚に上げて、ローザはからかうような笑みでベルたちを見ている。

 アリシアはうんざりした表情で彼女を見た。


「部屋に入るときは声をかけてくれ」

「突然入られて困るようなことしてたの?」

「してない!」


 アリシアは顔を真っ赤にして否定した。

 今日のアリシアはやけに顔を赤くしている気がする。そんなことを言ったら、もっと怒ってしまうだろうか。

 これではきりがないと判断したベルは、ローザに尋ねた。


「何か用事ですか?」

「午後、アリスのお見舞いに行かない?」


 ローザの提案に、2人は驚いた。


「目覚めたばかりで、大丈夫なのか」

「あまり長い時間じゃなければ、大丈夫らしいわ。それに、アリシアたちは明日帰っちゃうでしょう? 挨拶だけでもしてきたら?」

「姉さんは?」

「私はいつでも会えるから、今回は遠慮しておくわ。……それで、どうするの?」

「行く」


 アリシアは即答した。


「ベル君はどうする?」

「僕も、いいんですか?」

「コーシュカが『彼さえ良ければ、ぜひ』って。アリスの新しい友人になってほしいそうよ」


 ベルは安心して答えた。


「そういうことなら、僕も行きたいです」

「決まりね!」



 ☆



 午後、ベルとアリシアの姿はある部屋の中にあった。

 少女らしく人形や色鮮やかな家具に囲まれてながら、部屋の主、アリスがベッドの上にいる。

 顔色は少し悪いものの、数年ぶりに親友と会えた喜びか、その瞳は輝いていた。


「2人とも、来てくれてありがとう。それと……はじめまして?」


 後半の言葉は、ベルに向けられていた。


「“アリス”として会うなら、はじめましてだね」


 ふと、アリスの顔が曇った。


「お兄ちゃんたちから、何があったのかは聞いてるの。私、みんなに怪我を――」

「アリスじゃない」


 アリスの言葉を、アリシアが遮った。


「あの事件を起こしたのはグラナートだ。アリスは悪くない」


 今朝ベルにそうしたように、アリシアははっきりと言った。

 だが、アリスの表情は晴れない。


「……ううん。私にも、多分原因があるの」

「どういうこと?」


 ベルが尋ねると、アリスは沈んだ声で答えた。


「事件の日、トイレから会場に戻ろうとした時に、声をかけられたの。男の人で、あのときは思い出せなかったけど……今思い出した。あれは、ボーウェンさんだった」

「ボーウェンって……?」

「おじいちゃんの知り合い。東部都市の議員さんなの」 


 東部都市。出発前、クロから聞かされた話をベルは思い出した。

 確か、東部都市は情報の規制が行われている。そんな地域の議員が、なぜこの街にいるのだろう。


「私も、おじい様の付き添いで会合に行った時、会ったことがある。議員としてはかなり若い男性だ……あまり、良い印象はないが」


 2人の説明に、ベルは一旦納得した。……だけど、アリシアにそこまで言わせるような人物であるボーウェンとは、何者だろう。ベルはその名前を覚えておこうと思った。

 アリシアが尋ねる。


「そのボーウェン氏がどうしたんだ?」

「それが……そこから、記憶があいまいなの」


 アリスは必死に思い出そうとするあまり、顔がくしゃくしゃになっている。


「確か、ボーウェンさんに声をかけられて……でも、嫌な感じがしたからすぐに離れようとしたの。だけど、腕を掴まれて、……それから腕輪を」


 ベルとアリシアははっとして顔を見合わせた。


「ボーウェン氏が、腕輪を?」

「そう、腕輪をつけられたの。そしたら、急にふらふらして……その後は、アリシアと話をするまでの記憶がないの」

「……話してくれて、ありがとう」

「アリシア?」


 見たことがないほど怖い顔をするアリシアを、アリスは不安そうに見つめた。


「このことは、私がちゃんと調べる」


 アリシアは安心させるように笑ってみせた。


「大丈夫だ。アリスが安心してお茶会を開けるようにする。だから……次に開くときも私やベルを誘ってくれる?」


 アリスは驚いて――それから、春の雪解けを思わせる笑顔で答えた。


「もちろん!」


 それから3人は、様々な話で盛り上がった。

 ほんの挨拶程度で済ませるはずだった面会は、窓の外が赤く染まるまで続いた。


「……そろそろ、行かないと」


 アリシアが呟いた。


「しばらく会えなくなるね」

「でも、前とは違う。距離は遠くなるけど……手紙を出すし、会いたいと思ったら半日で会いに行けるんだ」


 少し元気を取り戻したような表情で、アリスが頷いた。


「元気になったら、ぜひ中央に遊びに来てくれ。向こうの友人たち――特に、ルナとはきっと気が合うはずだ」

「うん、早く元気になって、今度は私から会いに行く!」


 少女たちは抱き合って別れの挨拶をした。――なぜか、体を離したアリシアの顔が赤くなっていたのが、ベルは気になった。

 次に、ベルはアリスと握手した。


「ベル、来てくれてありがとう。アリシアのことよろしくね」

「うん。……アリス、早く元気になってね。また会えるのを楽しみにしてる」

「私も!」


 後ろ髪を引かれる思いだったが、2人はアリスの部屋を後にした。

 少しして、アリスの部屋にコーシュカが入ってきた。


「親友と、新しい友人に会った感想は?」

「すっごく楽しかった!」


 それを聞いたコーシュカは、ホッとした笑みを浮かべた。


「お兄ちゃん、気づいてた?」


 アリスはとても嬉しそうな笑顔で言った。


「アリシア、すごく幸せそうだったの」

「そりゃあ、アリスに会えたんだから嬉しいに決まってる」

「そうじゃなくて……もういい!」

「なんだよー」


『私、ベルとアリシアは結婚すると思うな。応援してる』


 あの時アリシアは耳まで真っ赤にしてたっけ。

 本当に、そんな気がしたんだけどなあ――眼の前で不満げなコーシュカをよそに、アリスは心の中で呟いた。

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